「スポーツアナウンサーの喜怒哀楽」(27)-(佐塚 元章=NHK)

◎放送史から学ぶ驚きの真実
2026年3月まで、私は東京・多摩市民塾の講師を務めた。テーマは「放送100年、体験的放送史」である。月1回、2時間だが、語りの内容はもちろん、音声資料、VTRなど教材を揃えるとなると結構手間がかかるものである。放送史の文献や先輩アナウンサーの著作も目を通さなくてはならない。しかし、そうした勉強の中から自分のこれまでの思い込みの間違いに気づき思わぬ発見もある。ふたつご紹介したい。
日本初のオリンピック中継は1932(昭和7)年ロサンゼルス大会だが、組織委員会とアメリカのNBCとの話し合いがこじれ、放送席を確保できず、アナウンサーは現場を見てからスタジオに帰りアナウンスをする「実感放送」となった。NHKから派遣された島浦精二アナウンサーらが「カルフォルニアの空、緑に晴れ渡り・・・」と、まるでその場にいるように日本に伝えた。現在はこの事実はよく知られている。
ところが、1984年発刊の岡田実著『マイクで綴るスポーツ史』にこんな記述があった。「戦後、昭和23年頃、島浦先輩から驚くべき事実を知らされた。
「岡田君、私の放送したロサンゼルスオリンピックは実況ではなく実はスタジオでしゃべった実感放送だったんだよ」
私はほんとうにびっくりし、一杯食わされたような気持ちになった」という説明である。つまり当時、放送の真実、実態は日本に全く知らされないままオンエアーされ、それでも国民は熱狂した。虚偽の放送だったのである。驚きだった。
もうひとつ私が知ったのは、1954年6月25日の後楽園球場、初の天覧試合。長嶋茂雄選手が両陛下を感動させるサヨナラホームランを打った名勝負である。この試合は当時、後楽園の巨人戦を独占していた日本テレビだけが放送していたものだと思っていた。ところが朝日、毎日の当日のラジオテレビ欄を見ると、NHK総合午後7時15分ら小西得郎さんの解説で中継をしているのだ。つまり2局の並列放送である。
放送史を調べてみると日本テレビ、読売トップの正力松太郎さんが3日前、要望のあったNHKに中継OKを出したそうだ。余談だが、私の家にはまだテレビはなかった。放送プログラム欄は、上にラジオ、下にテレビの時代だ。正力さんの「これは国民的行事」の大局的判断は、まさにプロ野球育ての親である。後楽園のNHKの巨人戦放送は、以来半世紀あまり実現しなかった。
実は多摩市民塾の講師は公募だった。提案表を提出して、合格を待った。定年になり時間に余裕ができた今、何か生活の目標を持ちたいからである。目標ができれば努力もする、新しい発見がある。さあ!次の目標を?(了)

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