「勝手にスポーツコラム」(5)-(船原 勝英=共同通信)
◎「スポーツ言語大賞」にイチローさん殿堂入りスピーチ
スポーツ言語学会(黒田勇関西大学名誉教授が会長)は、2025年度「スポーツ言語大賞」にイチローさんが米国野球殿堂入りセレモニーの英語スピーチで、そこだけ日本語で話した「野茂さん ありがとうございました」を選定した。大谷翔平らの活躍で日本語に対する関心が高まり、「ありがとう」は米国でも多くの人が知る言葉になっている。大リーグで活躍する多くの日本人選手の先駆者となった野茂英雄氏に対する敬意の証として、その部分だけをあえて日本語で伝えた。
筆者は同学会メンバーで、大賞の選考委員長を務めた。スピーチを締め括ったこの言葉は米国の聴衆の心にも響くとともに、日本人選手が乗り越えてきた苦難の歴史と誇りを示す象徴的な日本語ともなった。日本人のスピーチが強いインパクトを世界に与えることができた稀有な例。選考委員会は、それが日本語でのメッセージだったことを高く評価し、スポーツ言語大賞にふさわしいと判断した。
前年の大賞は、パリ五輪レスリング女子76㎏級の鏡優翔選手の「ガンバレと言われるより、カワイイと言われる方が力になる」だった。同選手は、小学生のころから体が大きくて強いことから「バケモノ」扱いされてきたそうだが、レスリングで実力を発揮する。「カワイイ」と刻まれたマウスピースを装着し、髪をフランス国旗と同じ三色に染めて登場して見事に金メダルを獲得。日本発のアニメなどで「世界語」になっている「カワイイ」に、新たな意味を与えた功績を高く評価した。
日本で7年連続首位打者を獲得し、マリナーズへ移籍したイチローさんは、1年目から首位打者、MVPを獲得する大活躍。10年連続200安打、シーズン262安打の最多記録を樹立する傍ら、守備・走塁でも目覚ましいプレーを見せ、パワー全盛だった米球界に新風を吹き込んだ。19年間の大リーグ生活で3089安打、日米通算では4367安打をマークして殿堂入りを果たした。
その一方で、多くの安打記録をつくっても本塁打が少なく、足で内野安打を稼ぐプレーには陰口も絶えなかった。それでも、自分を生かすにはこれが最善の道と信じて自らのスタイルを貫き通した。ルーキーイヤーこそポストシーズンへ進出したものの、大半は優勝争いとは無縁の西海岸の新興チームというハンディもあった。
批判の裏側には、白人中心主義の米国社会のマイノリティに対する偏見や、やっかみも含まれていたと考えられる。そうした苦難を黙して語らず、たゆまぬ努力で乗り越えた。晴れの舞台では、ユーモアと皮肉を利かせた見事な英語スピーチで米国ファンの笑いを誘い、偉大な業績を再認識させた。
これに先立つ殿堂入り投票では満票に1票不足したが、投票しなかった記者に対して「自宅に招待して一緒にお酒を飲みたい」とユーモアたっぷりに呼び掛けをする傍ら「不完全であるというのはいいなあって。生きていく上で不完全だからこそ進むことができるわけで」と独自の哲学に基づいてポジティブに受け止めた。
このスピーチでは、かつてのチームメイトへ「Seieze the moment!(このチャンスを逃すな!)」と呼び掛けたことも話題になった。長くプレーしたマリナーズがカル・ローリー捕手の本塁打量産もあって快進撃を続け、ポストシーズンの活躍に期待が膨らんでいた。マリナーズは激励に応えて地区優勝を果たしたものの、リーグ優勝決定シリーズでブルージェイズに敗れた。このフレーズも候補に挙がったが、野茂さんへのリスペクトを日本語で述べたことが決め手になった。
★イチロー氏の事務所「株式会社M4」のコメント
「スポーツ言語大賞にイチローのスピーチを選定いただきありがとうございます。ただ誠に申し訳ありませんが今回の受賞にあたってイチローのコメント提供は難しい判断となります。大変意義のある賞であることは承知の上で恐縮ですが、今回我々としては選定いただいた事実を受け止めることしかできない状況です。ご期待に沿えず申し訳ありませんが、何卒ご理解とご容赦いただきたく存じます。」
★受賞コメントに関しては、長くイチローさんを取材した元共同通信記者を通じて事務所「M4」へ依頼したが、上記のような回答だった。挽回は難しいとは思いながら、最後の4割打者テッド・ウイリアムズの故事を引用して少しの皮肉を込め、再回答を依頼した。その故事とは、引退試合でホームランを放ちながら、ウイリアムズがファンの歓声に応えることなくベンチに消えたことを、ジョン・アップダイクがニューヨーカー誌に「神はいちいち手紙の返事を書かないものだ」寄稿したエピソード。イチローさんはウイリアムズのような頑なな人物ではないが、やや気難しい面もあって、「ノーコメント」は想定の範囲ではあった。もちろん、再回答はなかった。
以下は、最終候補に残った他の4人のコメント。それぞれのコメントの魅力と背景を添えてある。みなさんなら、どれを選ぶ?
【スポーツ言語大賞最終候補(大賞を除く)】
②山本 由伸 「You know what? Losing isn’t an option(負けるという選択肢はない)」ワールドシリーズMVPの山本由伸投手(27)が英語でファンに感謝の言葉を述べ、会場を埋め尽くしたドジャースファンやチームメイトを大いに沸かせた。
★以前の記者会見で「負けるわけにはいかない」との発言を意訳として伝えられていたフレーズは、SNS上では「言っていない山本由伸語録」として反響を呼んでいた。ファンやメディアが見守る中、このコメントが本人の口から発せられ、晴れて「山本の名言」となったのである。本人のオリジナルコメント以外に、さまざまな要因が加味されて「名言」となることがあるというサンプル。
③村竹ラシッド 9月16日 世界陸上 男子110メートル障害決勝 5位
メダルを期待される中、5位に終わったレースを振り返って「12秒台も出して、世界の強豪選手とも渡り合って、自分なりにメダルを取れるだけの根拠を今まで積み上げてきたつもりだったんですけど、結果かなわなくて…何が足りなかったんだろうなっていう思いです」
★コメントの発信力は単に言語による表現力やインパクトだけでなく、さまざまな要素が絡み合って高まるという好例。結果を受けてインタビューを見た視聴者は「何が足りなかったんだろうなっていう思いです」というラシッドの言葉は心に響いたのではないか。ただ、レースやインタビューを切り離した「何が足りなかったんだろうな…」だけでは、ラシッドの思いは伝わりにくい。
④カナダ・トルドー前首相(トランプ大統領「51番目の州に」との発言に)
首相の座を降りたトルドー前首相は「ここ(カナダ)は女性が選択する権利を守る国だ。可能な限り外交を優先する国だ。だが、必要な時は戦う国だ」と述べ、国民的スポーツのアイスホッケーの技術を用いて「Elbows Up!」と呼び掛けた。アイスホッケーで防御しつつ肘で反撃する動きを表す言葉。相撲で言えば「かちあげ」のような動作で、カナダ人の気持ちに最も響く言葉選びだった。
★MLBのワールドシリーズは唯一のカナダ球団、ブルージェイズ対ドジャースとなり、カナダ国民は米国のチームを打倒するぞとこの言葉で一致団結。史上まれにみる激戦となった。トランプ再選後のさまざまな理不尽な要求に対し、穏やかな隣人が国技とも言えるアイスホッケーの用語で反撃の姿勢を見せた。ミラノ・コルティナ五輪の決勝は、米国が2-1で宿敵カナダを下し、46年ぶりの金メダルを獲得した。2つのファイナルの結果が違っていれば、このコメントは脚光を浴びたのではないか。
⑤今永昇太 (ファウルフライを味方野手が2度落球後に本塁打を打たれ)
「あのようなことが起こった時は、チャンスだととらえなければいけないと思っている。あそこで抑えて、ベンチや周りの選手から信頼される。僕はそのチャンスを今回逃してしまった。次回はそこをしっかり抑えて信頼を得られるようにしたい」
★投げる哲学者と言われる今永投手らしい含蓄のあるコメント
