「100年の道のり」(99)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎サンフランシスコ・シールズの来日
 太平洋戦争が終えると、米国は人気スポーツの野球を利用して日本の占領政策に乗り出した。1949年(昭和24年)10月12日、3Aサンフランシスコ・シールズの来日はその代表的な例だった。戦前の日米野球で日本側に協力したフランク・オドールが監督としてチームを引率してきた。
 実は大リーグの来日については米国政府が難色を示した。そこでファームチームが代役になったのだが、名目は「将兵慰問」。GHQの招へいとした。来日実現に力を発揮したのが野球少年だったウィリアム・マーカット少将で、15日の第1戦(後楽園球場)で始球式を行った。
 試合は11試合が組まれ、内容は進駐軍チーム4試合、プロ野球6試合、東京六大学リーグ選抜1試合。日本のプロ野球メンバーは日本野球記者クラブの選考で決めた。監督は藤本定義、選手は25人で、投手は別所毅彦、藤本英雄、若林忠志ら、打者は藤村冨美男、別当薫、川上哲治、青田昇、大下弘、小鶴誠、西沢道夫ら。
 初戦は観衆4万5000人。シールズは1回に5点を挙げ、巨人に圧勝した。この後の5試合にも勝ち全勝だった。プロ野球との試合は観客が増続け、神宮球場では第2戦6万人と第6戦7万人、第4戦の甲子園でも7万人を集めた。全日本との第6戦は9回表に本塁打を放ち1-0の辛勝だった。プロ野球チームとの結果は次の通り(●は敗戦投手)。
 ・第1戦(後楽園)13-4巨 人 ●川崎徳次
 ・第2戦(神 宮)4-0全関東 ●中尾輝三
 ・第3戦(西 宮)3-1全関西 ●武末悉昌(よしまさ)
 ・第4戦(甲子園)2-1全日本 ●藤本英雄
 ・第5戦(中 日)13-4全日本 ●別所毅彦
 ・第6戦(神 宮)1-0全日本 ●武末悉昌
 注目されたのはシールズ11試合目の東京六大学リーグ選抜軍だった。先発した法大の関根潤三が1回表に2点を失ったものの、打線が3回に同点とした後は、ピタリと抑えた。左腕が冴えた。投手戦となり延長へ。13回に2点を奪われ2-4で敗れたが、関根の力投は大きなニュースとなった。関根は“投打二刀流”で近鉄と巨人で活躍、殿堂入りしている。
 シールズは「凡打でも全力疾走」など野球のイロハを教えた。2年後に打者の川上、藤村、小鶴と投手の杉下茂の4選手をシールズのキャンプに招待。日本球界の大きな影響を残した。
 開幕戦の前、君が代の吹奏、日の丸が掲揚。日本チームのユニホームは左胸に英語で「ALL JAPAN」。戦後日本を象徴するものだった。

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