2019-07-01 / 最終更新日時 : 2019-07-01 op01 04.プロ野球の歴史 第18回 日米野球から一気にプロ野球誕生へ(菅谷 齊=共同通信) ▽大日本東京野球倶楽部 ベーブ・ルースを迎えて行われた1934年の第2回日米野球ツアーは大成功だった。ビジネスとして大儲けとはならなかったものの、なによりも野球の面白さを日本中に知らしめたことが大きかった。 正力松太郎 […]
2019-06-01 / 最終更新日時 : 2019-06-01 op01 04.プロ野球の歴史 第17回 全力プレーとファンサービス(菅谷 齊=共同通信) ▽日本中に知れ渡ったスクールボーイの快投 沢村栄治の快投はビッグニュースだった。試合翌日の主催、読売新聞の紙面は興奮に満ちていた。 「沢村無類の出来栄」 「大投手戦を演ず」 「ゲーリッグ貴重の本塁打」 大きな見出 […]
2019-05-01 / 最終更新日時 : 2019-04-30 op01 04.プロ野球の歴史 第16回 スクールボーイ沢村、9三振の快投 ー菅谷 齊=共同通信) ▽ルースを3球三振、喝さいの嵐 晩秋にしては強い日差しの静岡・草薙球場。11月20日の試合は日本野球界にとって歴史的な一戦となった。全日本のマウンドに立ったのは沢村栄治。京都商の17歳9か月の少年である。 午後2時、プ […]
2019-04-01 / 最終更新日時 : 2019-03-31 op01 04.プロ野球の歴史 第15回 世界最強チームの本領発揮(菅谷 齊=共同通信) ▽開幕戦に4本塁打、全米のパワー炸裂 第2回日米野球は1934年11月5日、神宮球場で開幕した。全日本の先発投手は伊達正男。早稲田大のエースとして知られた大型右腕である。 伊達は1回、ルースまで3人を討ち取った。上々の […]
2019-03-01 / 最終更新日時 : 2019-03-01 op01 04.プロ野球の歴史 第14回 大人気、開幕戦は左翼ルース -プロ野球の歴史(菅谷 齊=共同通信) ▽押し掛けたファン、開門1時間半も早まる 1934年11月4日、神宮球場。ベーブ・ルースを迎えた第2回日米野球は、いよいよ第1戦を迎えた。 人気のほどは、どうだったのか。 はっきり、すごかった。ルースという大看板の威 […]
2019-02-01 / 最終更新日時 : 2019-02-01 op01 04.プロ野球の歴史 第13回 神宮球場と谷津グラウンド第13回 神宮球場と谷津グラウンド ▽飛ぶように売れた破格の入場料 第2回日米野球の初戦は神宮球場である。 「さて、入場料はいくらにするか…」 幹部が集まった。この金額によって成功か否かが決まるポイントとあって、決定までに苦労したという。 ベーブ・ルースと […]
2019-01-01 / 最終更新日時 : 2018-12-30 op01 04.プロ野球の歴史 第12回 内々に進んだプロ野球への移行(菅谷 齊=共同通信¬) ▽全日本チーム初の紅白試合 第2回日米野球の機運は盛り上がり、日本の選手たちも日増しに興奮を高めていた。 そんな折り、日米野球の応援歌が生まれた。「日米野球戦 日本選手応援歌」というタイトルで、時代を背景にした意気と主 […]
2018-12-04 / 最終更新日時 : 2018-12-04 op01 04.プロ野球の歴史 第11回 夢の実現、ルースが日本に上陸(菅谷 齊=共同通信) ▽特別列車、ゴールデンロード エンプレス・オブ・ジャパン号が横浜に着いたのは1934年(昭和9)11月2日の朝である。米国ワシントン州シアトルからおよそ2週間の船旅だった。 この大型客船は、あのベーブ・ルースを運んでき […]
2018-11-01 / 最終更新日時 : 2018-12-04 op01 04.プロ野球の歴史 第10回 日系プレーヤーの先駆け、ジミー堀尾(菅谷 齊=共同通信) ▽移民の子、大リーガーを目指す 日本チームの中に堀尾文人という外野手がいた。彼は日系二世である。両親は日本人で、ハワイへは移民労働者として太平洋を渡った。20世紀に入る前後のことだった。 8人きょうだいの7番目としてハ […]
2018-10-01 / 最終更新日時 : 2018-10-05 op01 04.プロ野球の歴史 第9回 日本代表チームの立ち上げ(菅谷 齊=共同通信) ▽プロチーム発足前提のチーム編成 ベーブ・ルースが来るとあって、主催者は興奮状態だった。 正力松太郎は大リーグ選抜軍がシアトルを発つ2週間前に、日本球界の要人にチーム編成の協力を求め、メンバー30選手が決まった。 総 […]
2018-09-01 / 最終更新日時 : 2018-09-02 op01 04.プロ野球の歴史 第8回 苦労の末の選抜チームの編成(菅谷 齊=共同通信) ▽史上最強の大リーグ選抜軍 ベーブ・ルースは主将として来日することになった。 実は、この選抜軍は厳しいルールに縛られていた。伝統のナショナル・リーグは1932年から、 「海外での試合に出てはならない」 このため、チーム編 […]
2018-08-01 / 最終更新日時 : 2018-08-04 op01 04.プロ野球の歴史 第7回 ついに来た天下のホームラン王(菅谷齊=共同通信) ▽ポスターを見て、ベーブが笑った 正力松太郎の大望は、もはや執念だった。 「惣さん、ルースを呼んでくれ」 鈴木惣太郎を呼び、アメリカへ渡ってくれ、と御大は言った。頼りは鈴木しかいなかった、というのが実情だった。 1 […]