「中継アナの鉄人」深澤弘さんを悼む(8)-(露久保 孝一 = 産経)

◎「サクラ」花咲くミスター思いの質問
 深澤さんが長嶋茂雄さんと大の仲良しだったことは、球界で有名な話である。そのエピソードについては、新聞、雑誌、文献で多く伝えられている。そのこともあって、2人のことは、私はこの欄で触れないできた。ここでは、2人が共同して取り組んだ事業について、一度も報道されていない話を書いてみたい。 
 私が、産経新聞の札幌支局長として赴任していた頃の出来事である。2004年の秋、深澤さんから札幌にいる私に電話が入った。近く、札幌市内で大事な仕事をすることになったという。
 「仕事というのは、ミスター(長嶋茂雄氏)が名誉会長を務める一大プロジェクトのことなんだ。自然と食品を守るために行動するという環境問題をテーマにした事業なのだよ。俺はその広報役を務めることになり、大きなホテルで記者発表会を開く。ついては、露ちゃん(露久保)に頼みがある」
▽事前に打ち合わせをし万全期す
 私への頼み事は、発表会で、深澤さんら主催者側に対する重要な質問が出なかった場合、露ちゃんが質問してくれないか、というものだった。
 「ミスターは、なぜこの事業を引き受けたのか?」「組織がミスターに声を掛けたのはどんな意図からか?」
 野球とはまったく関係ないことだが、ミスターは「これはいいねぇ。いま大事なことだから…」と即引き受けたという。2週間後、深澤さんは札幌入りした。さっそく、2人は直接会って、記者発表について確認した。私が「いざという時に質問する」内容について確認し、深澤さんから事業の内容の説明があった。
 当の主役である長嶋さんといえば、実は、この年3月4日に、脳梗塞で倒れてしまった。札幌に行くことなど不可能である。その後、懸命のリハビリを続け、回復に努めていることは承知の事実である。
 私が深澤さんと話し合った翌日午後、札幌市中心部のホテルで記者発表会が開かれた。私は記者の一人として参加した。長嶋さんは、前年に名誉会長就任が決まっていたので、そのままのポストで発表会がおこなわれた。
 長嶋さん不在の記者発表であるため、深澤さんは長嶋さんの「代理」も兼ねていた。自ら司会を担当し、長嶋さんの気持ちを代弁する立場で発表に臨んだ。深澤さんが、事業内容について説明し、記者からの質問の時間に移る。環境保護を目的とした慈善事業をおこなう組織であるため、質問は、そのことに関することがほとんどで、深澤さんが望む「なぜミスターが賛同し、何をめざすのか」についての問いはとうとうでなかった。
 質問が進んでところで、深澤さんは、会場の中央に座った僕の方に視線を向けた。「露ちゃん、質問して!」と言いたげに、私の顔をちらちらと見る。わずかの時間ではあったが…・。私は目でオーケーした。用意した質問をし、深澤さんもその通り応えた。
▽質問-応答成功、ミスターの名誉守る
 私は、いわば「サクラ」の役をこなしたのだが、客のふりをして品物をほめたり、購買意欲を煽ったりすることではないので、偽客の意識はなかった。一記者として務めを果たした。深澤さんは、発表後、私のところに来て安堵した顔つきを浮かべた。
 「いやー、助かったよ。予想通り、ああいう質問は出そうで出なかった。ミスターの環境問題への姿勢と、そのために引き受けた気持ちを説明する機会が持てた。ミスターの名誉を守ることができて、うれしいよ」
 翌日、深澤さんは新千歳空港を飛び立つ前に、私に電話してきた。
 「露ちゃんに、大事なことを伝えるのを忘れちゃったよ。実は…」と言った。この「実は」は次回に書きます。(続)