「菊とペン」(57)-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎王さんにもあった〝幻の本塁打〟

桜が全国各地で狂い咲きしている。日本の四季はどこへいった。いつからだ。ついぼやいてしまう。

前回の今コラムで1971(昭和46)年、巨人対阪急の日本シリーズ第3戦(後楽園)で王さんが山田久志投手から放った逆転サヨナラ3ランについて記した。

高校1年時の思い出を格好付けて「53年目の真実」と締めたが、私の完全な記憶違いだったお話である。(興味のある方は10月のコラムをご覧ください)

この時、図書館通いをしたついでに言ってはなんだが、王さんの本塁打記録を改めて調べてみた。

新人時代の59(昭和34)年4月26日、国鉄戦(現ヤクルト)で27打席目に放った初ヒットが本塁打だったのは有名だ。

そうかと思えば、現役引退の80(昭和55)年11月16日、阪神との秋のオープン戦、藤崎台での最終戦、最終打席で宮田典計投手から右翼席中段に本塁打を叩き込んでいる。

初ヒットが本塁打で最後も本塁打、世界の王さんらしい幕開けと幕引きである。

公式戦通算本塁打は868本だが、日本シリーズ29本、球宴13本、東西対抗1本、日米野球23本、オープン戦98本と〝通算〟では1032本の本塁打を放っていた。

やっぱり凄いな…と思ったが、ん?、あれまあ、なんと冷静沈着な王さんにも「幻の本塁打」が1本あった。

それは66(昭和41)年11月14日、日米野球・第16戦、小倉球場でのドジャース戦だった。

71年の逆転サヨナラ3ランの時と同じく柴田勲さんが絡んでいた。

巨人は3回裏1死一、二塁とし、4番の王さんがウィルハイトから左中間席へライナーではじき返した。全力で駆け出していた。

ところが一塁を回ったところで、一塁走者の柴田さんを追い越してしまったのだ。フェンスギリギリの当たりで柴田さんはハーフウェイで見守っていた。

そうとは知らず、やってしまったのである。王さん、一塁のハービー塁審から「アウト!」と告げられて「オレが?」とビックリ、「失敗、失敗」と照れまくってベンチに帰っている。

「王うっかり、4号はフイ」翌日のデイリースポーツは一面である。

本人は「こんなことは野球をやり出してから初めてだよ」と言いながら、こう続けている。

「あれと思って後ろを見たら(柴田)イサオのヤツがのこのこ走ってくるんだ。まいったな。イサオがいるのが全然目に入らなかった」

王さん、あんまりだ。これでは柴田さんが気の毒だ。

本塁打のチョンボと言えば、長嶋(茂雄)さんが新人時代の58(昭和33)年、広島戦での一塁ベースを踏み忘れた一件が有名だ。

打ったらとにかく全力疾走、例え本塁打と分かっても全力で走る。これが当時からの基本的な教えだ。

長嶋さんの踏み忘れもライナー性の打球でフェンスを越えるか超えないか、分からなかったので全力で一塁に走った結果の出来事だった。

さて、いつからだろう。打者が本塁打を放つと、打席で派手なパフォーマンスをするようになったのは…。

打球の行方をゆっくり確認してバンザイをする。バットをたたきつける。放り投げる。自軍ベンチに向かってガッツポーズを取る。大谷翔平もやっている。

これも時代の流れなのか。おそらくこれからも派手になっていくだろう。

ちなみに王さんの一打はシングルヒットの扱いとなり打点は2。これが効いて巨人は3対1で勝っている。

新人の堀内さんが完封こそならなかったが、メジャーのドジャース相手に完投勝利を挙げていた。

今年も残り2カ月。散歩の帰りに寄った公園のベンチに座る。日が暮れるのがやたら早くなった。

風は意外と暖かい。(了)