「いつか来た記者道」(85)-(露久保 孝一=産経)
◎野球も冗句も大受けミスター長嶋
プロ野球の長い歴史の中で、ホームラン、打率、盗塁、投手勝利数、奪三振などで大記録を残した偉大なるヒーローは多い。しかし、その人たちが国民の誰からも好かれたかといえば、その人は数少ない。戦後80年を迎えた2025年6月3日、国民的英雄で「ミスターベースボール」と呼ばれた長嶋茂雄さんが逝去された。
敗戦国日本は1960年代から奇跡的な高度経済成長期に入る。その当時、庶民の数少ない娯楽の中で巨人の背番号「3」長嶋さんは、華麗で、豪快で、派手なプレーで野球を知らない国民にも感動を与えた。仕事や勉強で疲れた体を吹き飛ばす役目を長嶋さんは、果たした。まさに、国民的英雄の頂点に位置した人であった。その長嶋さんは、ユーモアのたっぷりの言動でも魅了した。長嶋さんについての逸話は数多いが、その「実話」は飛びぬけた面白さに包まれている。そのいくつかを紹介したい。
長嶋さんが巨人に入団して初めて春季キャンプに米国に渡ったとき、こんな印象を語った。「へえ、アメリカでは、皆上手に英語をしゃべるんですねえ!」(元プロ野球コミッショナー・加藤良三、産経新聞「正論」)
このベロビーチキャンプ中に、長嶋さんは巨人宿舎近くを散歩していて、ある店の前を通り店内を見て驚いた。「おお、ここの背広とワイシャツはすごく安くていいものが並んでいる。あした買いにこよう」。翌日、現金を手に店に入った。店員曰く。「ここはクリーニング店だから、売ることはできません」(当時の巨人担当記者)
ビートたけしが1986(昭和61)年、フライデー事件を起こした。半年後、長嶋さんからゴルフに誘われた。約束のゴルフ場についたたけしは、長嶋さんのところへ行きあいさつした。「あー、たけちゃん、誰とゴルフをするんですか?」。たけしが、目をぱちくりさせると、長嶋さんは気づいた。「あっ、ごめん、ごめん。ゴルフに誘ったのは僕だったけ」
▽おおらかなで気さくな人と庇う掛布
このようなエピソードから、長嶋さんは、おっちょこちょいで軽率な男といわれることもある。しかし、子ども時代から長嶋さんにあこがれて野球に打ち込んだミスター・タイガース掛布雅之さんは、「長嶋さんは、おおらかで、気さくな人なんです」とその人柄を語った。人に優しく、直感で動くタイプなので、他人に誤解を与えてしまうことも多々あると掛布さんは、郷土の先輩を擁護した。
プロ野球界での偉大なプレーヤーといえば、長嶋さんと「ON」コンビを組んだ王貞治さんも国民にホームランで感激を十分に満たした大打者である。残念ながら、ONのあとに続く国民的スターが不在だ、と嘆く声が多く聞かれる。野球の歴史はこれからも続く。ON級のスター選手の出現を、早く見たいものである。(続)