「記録の交差点」(26)-(山田 收=報知)

◎第26回 宮西尚生⑧
前回、取り上げた稲尾和久の記録を眺めているうちに、400イニング以上の投球回を2度もマークしていることを改めて知った。2リーグ分立後で最多は『雨雨権藤、雨権藤』と謳われた権藤博(中日)の429回1/3(1961年)で、69登板だった。
では1リーグ時代はどうかといえば、これまた人間業とは思えない数字が並んでいる。2リーグ時代、稲尾しかいなかった400イニング2度の達成者が野口二郎(1939、42年)、真田重蔵、白木義一郎(ともに1946、47年)と3人もいる。とくに野口は42年に527回1/3というとてつもない記録を残している。
しかしながら、この投球回数はNPB記録ではない。同じ42年、林安夫(朝日)という右腕投手が打ち立てた541回1/3が最多投球回数であり、71登板は1リーグ最多記録だ。この年のチーム試合数は105だから、1人で67.6%の試合に登板している。こんな想像を絶する記録を残している林安夫は、どんな投手だったのだろうか。
戦没者として、鎮魂の碑(東京ドーム21番ゲート前)にその名が刻まれている元プロ野球選手ぐらいしか認識がなく、その記録についてはほとんど知らなかった。今月は8月ということもあり、追悼の想いも込めて筆を進めることにする。
林は愛知・一宮中のエースとして1941年の選抜中等野球大会で準優勝(優勝は愛知・東邦商)。翌42、43年の2シーズン、朝日軍に在籍した。44年に応召。フィリピン方面(と言われている)で戦死したという。当時ドロップと呼ばれた縦割れのカーブとシュートを主武器にプロでも主戦投手の座をつかんだ。
僅か2年のプロ野球生活だったが、その成績には驚かされるばかりだ。1年目の42年の登板の内訳は、先発51(449回)、リリーフ22(92回1/3)。確か登板は71のはず。2試合の差は、試合途中で他の守備に就き、その後投手に戻ることが2度あったから、とみられる。報知新聞の畏敬する先輩であり、❝記録の神様❞宇佐美徹也氏の「プロ野球記録大鑑」によると、登板間隔は、連投16、中1日22、中2日15、中3日以上18であり、チームの8試合に連続登板もしている。投げた球数は、6663。投手が少なかった時代とはいえ、ルーキーにこれだけの負担をかけていたのだ。
積み上げた数字が雄弁に語る。32勝(22敗)はチーム勝利49の65%を占める。44完投(歴代2位タイ)を始め、完封勝利12、防御率1.014はいずれも歴代新人1位だ。この超人ルーキーの活躍をもってしても朝日は、この年①巨人②大洋③阪神に次ぎ、阪急とともに8チーム中4位と、残念ながら弱小チームだったようだ(とはいえ、前年の8位からはステップアップした)。
この年2位だった大洋(のちの大洋ホエールズではなく、名古屋金鯱軍との合併で41年誕生)には、前述した❝元祖二刀流❞ともいうべき野口二郎がいた。この年、66試合に登板、40勝17敗、41完投(19完封)、527回1/3投球回、防御率1.19と桁外れの数字が並ぶ。同年5月24日、名古屋との延長28回、344球を投げ、史上最長試合に完投勝ちした怪物投手としても有名だ。ちなみにその前日、23日の朝日戦。ノーヒットノーラン達成のチャンスを打ち砕いたのが林安夫という因縁もある。
凄まじいデビューを飾った翌年の43年。林は前年の酷使がたたったか、登板数は38と大きく減らしたが、31先発、27完投(12完封)、
20勝11敗、防御率0.89。投球回はそれでも294回を刻んでいる。2年連続防御率1位とはならず2位。トップは投手3冠の藤本英雄(巨人)の0.73だった。林は10月31日の西鉄戦を最後に、短くも鮮烈に輝いたプロ野球生活を終えた。
尚、この稿のナビゲーター・宮西は前半戦を終え、892試合連続救援登板、423ホールドでNPB記録を更新中です。=記録は2025年7月26日現在=(続)