第7回 門限破り攻防戦

◎遊び盛りのスター選手と取り締まり

▽「銀座の4番バッター」の門限破り

次いで「門限の堅守」である。
ナイターの時は自宅にいる選手も合宿所にいる一軍選手も午前零時か1時。そこで「門限破りの探索」の例を一つ。門限取締役は合宿所では寮長、合宿所を出ている選手のお目付け役は各コーチだったようだ。
 その1人の牧野茂コーチ。当時「銀座の4番バッター」といわれていた柴田勲について。
 「(門限を)破る選手は少なかったが、1人だけいた。1970-1年(昭和45、6年)ごろだったかな、政治家の広川弘
 禅のお孫さんにあたるお嬢さんと結婚する前の独身時代の柴田は、よく銀座で遊んだ。もてたもてた。小指が噛んだ…とかいう歌を歌った歌手と関係があったとか、いろいろ色っぽいうわさが飛んでいたときだった」
 面と向かって「お前、あんまり遊ぶなよ」といっても、「牧さん大丈夫ですよ。遊んでいませんよ」というに決まっている。ヤボなことはしたくない、と思った牧野さんがやった探索はこうだった。

▽牧野式「門限チェック」

 「1時ごろ柴田の家へ電話するんだ。柴田が電話に出る。電話に出りゃそれだけでいいんだけど、家に帰っているかどうかを探っていることを悟られたくないから、こんなふうに聞くんだ。いまオレ、今日の試合のスコアブックを整理しているんだが、お前が6回の打席でヒットしたときのカウントはワンツーからだったかな、ツーツーからだったかな、とか、カーブだったかな、ストレートだったかな、と聞いたりしてさ。オレが探っていることを柴田が気づいていたかどうかは分からんがね」
 このやりとりを柴田が報道陣に「牧さんはよく勉強しているよ」と語ったことがあるところをみると、柴田は牧野コーチのインサイドワークにまんまとはまっていたようである。
 門限破りの他の「罪」については公表を控えるが、「女性問題」「金銭問題」「暴力団の野球賭博に絡んでいる」などの問題が全くなかったわけではない。しかし、私が直接取材した事例はただ1件だけで、その事例が有名税に近いと思われるものだった。

▽“悪太郎”と寮長の攻防

川上巨人は厳しく門限などの管理をした。しかし、知れば知るほど人間性のある面白い管理だったと分かった。
 合宿所の門限破りの筆頭は、“山梨の悪太郎”こと堀内恒夫で、寮長の武宮武敏さんとは何度も攻防戦を繰り広げていたようだ。
 まず、私の畏友・故瀬古正春氏が著書で描く攻防戦のあらまし。
 堀内が入団2年目のときだった。また門限に遅れた。堀内は足跡を忍ばせて玄関をうかがうと、案の定、武宮寮長が玄関の上がりかまちに木刀を持って座っている。まずい! 
 しかし、堀内は策を施していた。寮を出る前に風呂場の窓を開けておいたのだ。そこから中に入った。そっと入ったつもりだったが物音が聞こえたのだろう、寮長の足音が近づいてくる。
 やばい! 進退窮まった堀内は「えい、ままよ」と湯船にそっと身を沈めて、息を止めた。足跡が近づいてきた。潜っているしかない。静かに風呂の底にうつぶせに伏してじっとしていた。
 風呂場のドアが開く音がした。湯船をのぞいている気配がする。が、しばらくして外へ出て行った。悪太郎は、してやったり、とそれから30分ほど風呂場にたたずんだあと忍び足で部屋に戻った。
 後にこのときのことについて武宮寮長はこういっていたという。
 「アカや毛がいっぱい浮いている湯船の底に、ホリが下を向いて息を潜めているのが見えたさ。お湯だって少し動いていたさ。だけどさ、そこまでする努力というか、懸命さに免じて見逃してやったのじゃよ」

▽湯船に浸かった仕立て下ろしの背広

この「風呂場の攻防」についてはこういう記述もある。羽佐間政雄氏の「巨人軍V9を成し遂げた男」から引用すると-。
 「武宮寮長は、かけたはずの風呂の鍵が開いているのを発見する。ある夜、そっと脱出する様子を見た。帰りも窓から侵入してくるに違いない。窓の下は湯船だ。そこで一計を案じて、時間になるといつも抜いてしまう湯を、その夜は抜かずにたっぷりと入れて獲物がかかるのを待っていた。
 そうとは知らぬ若者は、いつものように巧妙に窓からホイホイと身を入れ、空の湯船に無事着地と思った瞬間、バシャッ、と今宵初の仕立て下ろしの背広のまま入浴の身となってしまった。音を聞きつけた寮長、素知らぬふりで廊下に現れる。びしょ濡れで靴を手にした悪太郎に、なんじゃお前水浸しで……」
 この二つの話が一度の出来事についてなのか、別々のことなのか調べてないが、どちらにしてもなかなかな傑作な攻防戦である。
 この「違い」は些細なことであるが、こういう「違い」が巨人や川上監督やONについて実にたくさん出回っている。私はこれからも自分で実際に取材したことか、実際に取材した人から直接に聞いた話しか書かないつもりだ。(了)