2022-03-01 / 最終更新日時 : 2022-03-01 op01 15.たそがれ野球ノート 「中継アナの鉄人」深澤弘さんを悼む(6)―(露久保孝一=産経) ◎新潟から東京を見れば実態がよくわかる 深澤さんは、2002年から、新潟県民エフエム放送の東京支社長を勤めた。 「新潟はいいところだよ。コシヒカリはうまいし、きれいな日本海が見られる。東京にないおいしい空気があるよ。遠 […]
2022-02-01 / 最終更新日時 : 2022-02-01 op01 15.たそがれ野球ノート 「中継アナの鉄人」深澤弘さんを悼む(5)-(露久保 孝一 = 産 経) ◎野球人よ、相手の目を見て話しなさい 深澤さんが、楽しみにしていたもののひとつにプロ野球新人研修会での講座があった。将来の有望株としてプロに入団した選手たちに、自ら講師となり社会人としての心構えを話す機会である。 日 […]
2022-01-01 / 最終更新日時 : 2022-01-01 op01 15.たそがれ野球ノート 「中継アナの鉄人」深澤弘さんを悼む(4)-(露久保 孝一=産経) ◎喧嘩じゃないよ、野球中継だよ まもなく世紀が変わろうとする1999年9月、私は神宮球場で取材をしていた。ナイターの試合開始30分前、バックネット裏2階席のニッポン放送ブースに向かった。 ヤクルト主力選手のちょっとした「 […]
2021-12-01 / 最終更新日時 : 2021-12-01 op01 15.たそがれ野球ノート 「中継アナの鉄人」深澤弘さんを悼む(3)-(露久保 孝一 = 産 経) ◎深ちゃんの土産探しに土橋さん大苦戦 1965(昭和40)年頃から約30年間は、プロ野球の中継はラジオが中心だった。ニッポン放送の「ショウアップナイター」の名実況アナだった深澤さんは、関根潤三さん、土橋正幸さん、江本孟 […]
2021-11-01 / 最終更新日時 : 2021-11-01 op01 15.たそがれ野球ノート 「中継アナの鉄人」深澤弘さんを悼む(2)-(露久保 孝一 = 産経) ◎関根潤三さん、根本陸夫さんと密談 深澤さんの球界交友の広さは、マスコミの中で際立っていた。長嶋茂雄、王貞治、落合博満各氏を始め、老壮青の多くの人から親しみをもたれた。その交友の中に、関根潤三さんと根本陸夫さんがいた。 […]
2021-10-01 / 最終更新日時 : 2021-11-01 op01 15.たそがれ野球ノート 元アナウンサー深澤弘さんを悼む(1)-(露久保 孝一=産 経) ▽大親友“ミスター長嶋”がショック プロ野球の名実況で知られた元ニッポン放送アナウンサーの深澤弘(ふかさわ・ひろし)さんが2021(令和3)年9月8日、腎不全のため死去した。85歳だった。葬儀・告別式は同月16日、近親 […]
2019-07-01 / 最終更新日時 : 2019-07-02 op01 15.たそがれ野球ノート 第10回 「駒沢球場」(取材日2007年3月上旬) ◎駒沢の暴れん坊たち(2)完 ▽稲尾からサヨナラ本塁打、張本にご褒美 松木は、新人の張本をレギュラーにしたい、と考えていた。特訓の成果で打球が見違えるほど伸びるようになった。バットの長さを生かして「線」でボールを捉える張 […]
2019-06-01 / 最終更新日時 : 2019-06-01 op01 15.たそがれ野球ノート 第10回 「駒沢球場」(取材日2007年3月上旬) その昔、東京の外れに砂塵が舞い藪蚊が飛び交う「暴れん坊集団」の根城があった。土盛りの外野席にデコボコのグラウンド、そして名物の乱闘騒ぎ。東映フライヤーズの駒沢球場である。 ▽合宿は木造病院の改造 史上ただ一人、3000本 […]
2019-05-01 / 最終更新日時 : 2019-05-01 op01 15.たそがれ野球ノート 第9回「後楽園球場」(下の2=取材日2008年6月上旬) ◎世界のホームランキング・王 貞治 ▽日本シリーズ史に残る王の逆転3ラン 「当時のボクは大スランプでしてね。ペナントレースの後半は26打席ヒットがなかった。あの日も3打席凡退。本塁打なんて全く頭になかった。長嶋さんが一、 […]
2019-04-01 / 最終更新日時 : 2019-03-31 op01 15.たそがれ野球ノート 第9回「後楽園球場」(下の1=取材日2008年6月上旬) ◎世界のホームランキング・王 貞治 ▽ あの伝説的なホームランは、王貞治にしては、信じられないようなウラがある。 「もがき苦しむ絶不調だったからこそ打てた」 打った本人はそう言うのだ。 1971年10月15日 […]
2019-03-01 / 最終更新日時 : 2019-03-01 op01 15.たそがれ野球ノート 第8回「後楽園球場」(上の3)完-取材日2008年3月上旬- ◎ミスタープロ野球の涙 ▽ザ・プラウド・オブ・ヤンキース 長嶋の終わり2シーズンは、73年が2割6分6厘、74年が2割4部4厘だった。 長嶋が執拗に現役に拘ったのは、“バットマンの性”だろう。 これまでもチャスには伝 […]
2019-02-01 / 最終更新日時 : 2019-02-01 op01 15.たそがれ野球ノート 第8回 「後楽園球場」(上の2)-取材日2008年3月上旬- ◎ミスタープロ野球の涙 ▽花束、涙、あの日の姿 第1試合が終わった午後2時過ぎ、長嶋は一塁ベンチから右翼席前へと歩み出す。小野は万一に備え長嶋の後方内側を付いて歩いた。右中間あたりでふと見ると、長嶋が泣き出していた。 […]