「インタビュー」江夏豊(1)-(聞き手・露久保 孝一=産経)
記者の質問に答える江夏豊氏(東京プロ野球記者OBクラブ総会=日本プレスセンターで)
◎ワシの激励通り、岡田阪神は自信に満ちていた
江夏豊さんといえば、昭和時代を代表する左腕の奪三振王である。年間最多奪三振401は、いまだに破られていない不滅の記録として輝いている。さらに、オールスター戦で9者連続奪三振という快挙がファンのイメージに残っている。その江夏さんが2023年11月10日に開かれた東京プロ野球記者OBクラブ懇親会にゲスト出演し、阪神や西武における現役時代の思い出や大リーグ、ドジャース移籍した大谷翔平について語った。その話を中心に一部補足して、インタビュー形式で野球への思いをお伝えします。
▽9連続三振祝ってくれ感謝、記憶は薄れかけている
≪1971(昭和46)年のオールスター第1戦で打者9人から連続三振という前人未到の快挙を成し遂げた。それから50周年にあたる2020年に当クラブは懇親会にゲスト招待することに決めたが、コロナ禍で開催の延期を余儀なくされた。23年11月に懇親会が実現して快挙を祝した≫
―江夏さんの数々の功績のなかで、オールスター戦での9連続三振という素晴らしいピッチングがある。野球ファンの間に、いまでも強烈な思い出して残っています。
江 夏「9連続三振といわれても、だいぶ昔のことになってしまった。実際、自分がやったという意識というか、気持ちも薄れてきているのが現状です。今となっては、そういう昔の経験を自分なりに静かに思い出しているところです。ただ、私の祝いということで、こういう会にお招きいただき光栄に思っています。記者のみなさんが私の記録のことを詳しく語ってくれて、その話が楽しいです」
≪「左腕の大エース」として王貞治、長嶋茂雄のONと真っ向勝負するなど力投を続けた江夏さんの古巣・阪神は23年にセ・リーグ優勝し日本一に輝いた≫
―阪神がリーグを制覇し、日本シリーズではオリックスを破って日本一に就いた。OBとして、やはり喜びもひとしおで・・・
江 夏「タイガースのОBのひとりとして正直うれしかった。いまから38年前を思い出しました(現役を84年に引退しその翌年に阪神が優勝)。日本シリーズの試合をスタンドと記者席から見させてもらいました。自分の阪神時代に弟分であった掛布(雅之)、川藤(幸三)がグランドにいた。頑張っているなと思いつつ、プレーを見ていた」
―今度の阪神優勝の試合は、どこで見ていました?
江 夏「もちろん現場にはいませんので、家でテレビで観戦した。よしよしと感心しながらプレーを追っていました」
▽一緒にゴルフ、その翌日に岡田監督発表される
―セ・リーグで阪神は強かった。岡田監督の采配はどうですか?
江 夏「岡田君とは親しく話しをしている仲です。裏話をひとつしましょう。(22年の)オフに岡田君と一緒に北陸の方へ行きました。気心の知れた仲間のゴルフコンペに招待されたのです。その時、『お前も監督をやらなければ』と言いました。本人はニヤニヤしていました。私は『まあ頑張れ』と励ました。その翌日です、なんと監督就任の発表です。まさかまさかのタイミングです。ゴルフをした後ですから・・・。彼の顔を見たとき、監督に決まっているとは思いもしなかった」
―岡田さんとは、何か野球の話はしましたか。
江 夏「ゴルフの時にちょっと話をした。これはと思うほど自信満々でした。いまのセ・リーグは普通にやればタイガースが絶対勝てます。戦力の層が全然違う、タイガースは整っている。彼はそう話した。それほど自信を持っていました。今から思えば、なんとなく監督としての口ぶりではあったが・・・。監督に就いてキャンプからオープン戦、そして公式戦に入ってからも余裕たっぷりでした。ここまでタイガースが強いか、いい野球をする・・・。ОBとして、本当にうれしく感じた。クライマックスシリーズも独走的に勝ち、日本シリーズでは接戦を制した。私にもファンにも、記憶に残る1年であった」
―阪神は24年も大丈夫ですか。優勝しますか。
江 夏「勝負の世界です。23年良かったから、次の年もいけるかとなるとそうはいかない。強いチームが必ず出てきます。タイガースがどう戦うか。それを楽しみに24年も見させていただきます」(続)
〈えなつ・ゆたか〉1948(昭和23)年5月15日、兵庫県生まれ。67年、大阪学院高からドラフト1位で阪神入り。2年目に25勝で最多勝、401奪三振のシーズン最多記録をつくる。71年7月、球宴第1戦で9者連続奪三振。76年に南海に移籍し、その後、広島、日本ハム、西武で活躍し通算206勝210セーブポイントを記録。先発とクローザーで成功した唯一の投手である。名球会会員。