「記録の交差点」(25)-(山田 收=報知)

第25回 宮西尚生⑦
 この原稿を書いている時点で、2025年の交流戦が、ソフトバンクの6年ぶり9度目の優勝で幕を閉じた。この稿の主人公というかナビゲーター・宮西もここまで、18試合、887連続救援登板、10ホールド、通算422Hと、ともにNPBトップの数字を重ねている。
 このシリーズでテーマとして取り上げている登板に関して、前回「とてつもない怪物投手」に焦点を当てると予告した。皆さんの予想通り、それは神様・仏様と並び称せられた稲尾和久(西鉄・1956~69)である。
 今、思えば❝投げすぎた男❞である。前回紹介した米田哲也、金田正一ら昭和の大投手は20年以上投げ続けた。例えば米田は実働22年間で949登板(先発626、救援323)。金田は20年間で944登板(先発569、救援375)
を記録している。片や稲尾は756登板だが、これを14年間で積み上げているのだ。
 単純比較すると、米田は1シーズン平均43.1、金田は47.2の登板数となる。稲尾はなんと54登板。加えて、彼は先発304に対して救援が452もある。3連投が珍しくない時代とはいえ、これはコンプライアンス違反ではないのか。まさに酷使であり、間違いなく投手寿命を縮めた。
 年度別成績を改めて眺めてみた。高卒(別府緑丘)ルーキーだった1956年、いきなり61
試合に登板して21勝6敗、防御率1.06で新人王に選ばれた。2年目は68試合登板で、35勝6敗。最多勝、最優秀防御率(1.37)、最高勝率(.854)の投手3冠に輝き、史上最年少MVPに選ばれている。その後の活躍は皆さんご存知の通りだ。
 今回注目している登板数にスポットを当ててみた。1年目から61、68、72、75と凄まじい数字が並ぶ。これが、現代のようにリリーフ専門投手ならわかるが、先発しながらの数字だ。時代の差を感じてしまう。5年目の60年は肘痛で一時戦列を離れたため、39と減ったが、61年以降は78、57、74と続く。
 ここで少々、時間を進めてみる。現在のシーズン最多登板記録は、2007年、久保田智之(阪神)の90。あの「JFK」の一角を占めたタフネス右腕だ。NPB史上90台は彼だけ。以下②平井克典(西武)81=2019年③藤川球児(阪神)80=2005年④久保裕也(巨人)79=2010年④浅尾拓也(中日)79=2011となっているが、もちろん全てリリーフ専門である。61年稲尾の78は、この5人に次ぐ6位タイにつけている。
 この年の稲尾は、なんと404イニングも投げて(自己最多)、42勝(14敗)。スタルヒンと並ぶNPBシーズン最多勝利記録を樹立した。イニング数は久保田(108)の4倍近くになる。この年は140試合制だったので、登板率56%。78登板の内訳は先発30、完投21(完封7)、救援48。リリーフ登板のうち、現在のセーブに該当するのが10あるという。従って、この年の西鉄の勝利数81のうち52勝分に稲尾が貢献しているともいえる。登板間隔をみても、連投(3連投を含む)と中1日が38もある。まさに鉄腕にふさわしい。
 さらに、59年の75登板は歴代11位タイ(投球回数は402回1/3)。現代のプロ野球では200イニングを超える投手すら希少価値となっている折、1シーズンで2年分投げていた男たちが残した記録は、とても人間業とは思えないのだ。=記録は2025年6月26日現在=(続)

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