「記録の交差点」(30)-(山田 收=報知)

第30回 秋山翔吾④
 秋山が2015年7月に並んだ1リーグ時代の最高記録、31試合連続安打。達成者は野口二郎(阪急)。大谷翔平が現れた時、“元祖二刀流”としてスポットライトを浴びたスーパースターである。
 この記録は戦後、プロ野球が復活した1946年の8月29日から10月26日にかけて刻まれた。ただし、この偉業に光が当たったのは、3年後の49年である。それまでの連続試合安打記録は、坪内道則(48年=金星)の25試合が最長だった。翌年の2リーグ制スタートを前に、記録を再調査して見つかったという。何故、こんな快記録が認識されなかったのか。
 達成に2か月近くかかったことでもわかるように、当時の日程が飛び飛びだったことと、野口が投手を本業にしていたことにある。もちろん、投手で先発しないときは、一塁手、外野手として、4番を中心に打線で主軸を任されていた。この年は二塁も守っている。付け加えるなら、41、47年には三塁手としても出場している。
 この連載の第26回、シーズン最多投球回記録を持つ林安夫の項で野口を紹介したが、投手としては1942年(当時大洋所属)、66試合登板で40勝17敗。とくにその名を知らしめたのは、5月24日の名古屋戦(後楽園)だ。名古屋・西沢道夫とともに28回完投の末、4-4のドロー。NPB史上最長イニングを投げ合い、344球の1試合最多投球数の記録保持者でもある。
 5年連続25勝以上、シーズン19完封勝ち(42年)に13無死四球試合(49年)の日本記録も作った。戦争を挟み、12シーズンで517試合3447回1/3登板、237勝139敗。防御率1.96、しかも0点台が2度(40、41年)も。時代が違うとはいえ、彼もまた人間離れした鉄腕だった。
 投手としても凄いが、今回のテーマは打撃である。記録を作った1946年、登板しない時は「4番・右翼」が指定席だった。先発してKOされても、打線に残る”野口ルール”によりバットで貢献した。記録を作った31試合の内訳は、先発投手7試合、そのうち右翼・一塁に回ったのが4試合、先発右翼が24試合、うちリリーフ登板したのが6試合と、多彩な起用のされ方だ。投打に頼れる男だった。
 この間の打撃成績は、131打数48安打、二塁打3、三塁打3、本塁打0、打率.366。投手成績は13試合登板、5勝5敗、3完投、防御率2.67とやや疲れは感じられるものの、二刀流としての働きは見事なものといえるだろう。
 さてこの年、野口は投手として33試合登板、13勝14敗、13完投(2完封)、212投球回(規定投球回数150)、防御率2.67(リーグ5位)。
打者としては96試合出場、336打数(当時は規定打席ではなく規定打数300)100安打、1本塁打、44打点、打率.298(リーグ9位)。
規定投球回、規定打数を同時にクリアしたのは、39、40、41、42年のシーズンに次ぎ5度目だ。まさに稀有な存在だった。
 最後に因縁話を。48年、坪内が25試合連続安打を達成したゲームの翌9月6日。阪急・金星戦で、さらなる新記録を狙った坪内をストップさせたのが、野口二郎だった。49年に陽の目を見た野口のストリークを超えたのが、22年後の71年。野口がコーチを務めていた阪急の後輩・長池徳二(徳士)である。=記録は2025年シーズン終了時点=(続)