「スポーツアナウンサーの喜怒哀楽」(25)-(佐塚 元章=NHK)

◎球春到来!キャンプ取材の思い出
 野球ファンなら、プロ野球キャンプインのニュースを見ると何となく嬉しいものだ。現役を引退してはや20年を過ぎたが、このシーズンになるといつも思い出すことがある。キャンプ取材を解説者と一緒に旅したことである。仕事は旅程のプランニング、宿の手配、交通チケットの購入、その日の行動予定、食事場所の決定など、まさにマネジャー役である。
一番の思い出は川上哲治さん、藤田元司さんをエスコートしたことである。1986年、35歳の若輩が球界の長老のお供をさせていただいた。緊張して羽田空港の出発ロビーで待ち合わせをした。いきなり2人をファンが取り囲みサイン攻め、失礼にならないようファンをなだめ、高知行きの機内に送り込んだのがマネジャーの初仕事だった。高知での最初の夜、3人で食事をした。川上さんが大好きな「鯖鍋」を囲んだ。お酒を飲まない藤田さんが、「佐塚ちゃん、川上さんと遠慮せずに飲んでいいんだよ。NHKからそこまで貰っていないことは分かっている。酒代は俺が持つから、自分のメシ代だけ払って」と言ってくれた。実際、金のない職場からは自分の出張旅費しか貰っていなかった。持ち出しは覚悟していた。藤田さんらしい配慮である。本音を言えばほっとした(笑)。
 翌朝、安芸市のタイガースタウンへの出発はホテルロビー9時と約束した。私は、やや早めの8時50分頃降りていくと、お2人が椅子に座って貧乏ゆすりをしているではないか。恐縮して平謝り! 藤田さんが「いいんだよ、遅刻じゃないから気にするな! V9の巨人は15分前精神で行動していた。いつもギリギリに来る奴がひとりいたけどね(誰?笑)」と教えてくれた。翌日から約束時間の30分前にはロビーに降りていくことにした。余裕をもって物事に対処せよということを、V9の巨人は徹底していたということだろう。今も私の座右の銘としている。
 実はこの時、川上さんは肩甲骨付近に小さな腫物ができて、慈恵医大病院で切開していた。高知には系列の開業医があり、毎日1回消毒をしていたが、次の取材地沖縄には系列病院がないため「佐塚ちゃん、あんたがしてよ」と運動部から“業務命令”が出ていた。といっても医者でもないし、どうしたらいいの? 高知を出発する前日、開業医から消毒、ガーゼ、テープの張り方の特訓を受けて備えた。那覇のホテルで夕方、川上さんが風呂から出た頃、部屋をノックしベッドの上で胡坐をかいた川上さんの立派な背中を、頼りない“俄か医師”の私が3日間、手当をしたのである。さすがの打撃の神様も照れくさそうだった。
 その後、宮崎に飛び、巨人の定宿、江南荘に着いた時の川上さんの我が家に着いたようなほっとした表情が忘れられない。やはり、川上さんにも「若者アナウンサーにこんなことまでしてもらってはいけない」という思いがあったのかもしれない。私にとって緊張のキャンプ取材だったが、むしろ光栄ぐらいに感じた。今もそう思っている。
もうお2人は天国に逝ってしまった。藤田さんの葬儀の時、川上さんが「藤田君!君は仕事も遊びもいつも他人を気づかっていたね。天国にいったら、君のペースで楽に過ごしていいんだよ」と涙を浮かべながら弔辞を述べた。貴重な経験をさせてもらった思い出のキャンプ取材、もうお2人に会うことはできない。(了)

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