◎エクスパンション(菅谷 齊=共同通信)

大リーグはスケールの大きい改革を着実に実行している。1900年にナショナル、アメリカンの2大リーグとして再スタート。チーム数は8ずつの計16球団だった。50年代から69年代は「ゴールデンエイジ」(黄金時代)と呼ばれた。ベーブ・ルース時代を引き継いだ豪華絢爛の時である。
 ヤンキースのジョー・ディマジオにミッキー・マントル、レッドソックスのテッド・ウィリアムス、タイガースのハンク・グリーンバーグ、ジャイアンツのウィリー・メーズ、ドジャースのサンディ・コーファックスとデューク・スナイダー、ブレーブスのエディ・マシューズとウォーレン・スパーン、インディアンスのボブ・フェラーなど日本選手が憧れる選手が各チームにいた。
 その隆盛を全国に広げる政策がエクスパンション、球団拡張である。目標は「倍増の32球団」。実行に移したのが61年だった。ア・リーグにカリフォルニア(現ロサンゼルス)・エンゼルスと2代目ワシントン・セネタースである。セネタースの初代はミネソタ・ツインズとなったので新たに加わった。
 翌年にナ・リーグにニューヨーク・メッツとヒューストン・コルト45sの2チームが誕生した。コルト45sは3シーズンだけでアストロズに衣替えした。
 この時点で計20球団。さらに増え続け、カナダにも進出し、今の30球団となっている。あと2球団増加で半世紀を超える年月をかけて当初の目的を果たそうとしている。
 球団拡張は地区制度の採用に応用された。初めは東西2地区で、その後に中央を入れて現在の東中西の3地区制となった。地区同士の対戦を増やしたことで、広い地域による移動費のコストカットにつながった。さらにポストシーズンを充実させ、ワールドシリーズの前にリーグ優勝決定シリーズ、地区優勝決定リーグ、それにワイルドカードを設定している。
 球団増加政策を始めたころは「大リーガーのレベルが下がる」と危惧されたが、長い時間をかけて克服した。レベル下落を防いだのが黒人選手に続く中南米選手の獲得、そしてアジア地域に手を伸ばし、日本選手が次々と太平洋を渡って行くようになった。
 日本のプロ野球はその点、意気地がない。「4球団増やして16球団に」という話はいつの間にか消えた。火もつかなかった。ボヤに過ぎなかった。近鉄がギブアップしてオリックスに吸収された時は「2つ減らして1リーグ10球団にするか」などとオーナーが縮小を口にするほどだった。
 毎年のように日本のスターがメジャーを目指し、行く末を心配する声もある。現状の日本は大リーグの“草刈り場”になっているといっていい。(了)

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