「100年の道のり」(93)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎日本ワールドシリーズ
 セ、パ2リーグで再スタートすることになったプロ野球は、こんな知恵を生み出した。
「日本一を争うというのはどうか?」
 「そりゃいい。どういう名称にするか」
 「大リーグはワールドシリーズとしているから〇〇シリーズといたらどうか」
 「どうせなら派手な方がいい」
 そこで決まった名称が“日本ワールドシリーズ”だった。現在の日本シリーズのスタートはそんな形で新たな歴史を歩んだ。
 すったもんだの挙句にセントラル、パシフィックの2リーグ制が始まったのは1950年(昭和25年)のことである。この日本一決定戦はポストシーズンの最大イベントとなり、現在に至っている、ファンの支持は圧倒的に高く数々のドラマを生んだ。
 第1回のシリーズはセの松竹ロビンス、パの毎日オリオンズが対戦した。両軍の紹介は次の通り。
▽松竹=小西得郎監督
公式戦が始まったときの大東京が母体で、ライオン-朝日-パシフィック(太平)-太陽-大陽とチーム名を変えている。オーナーの田村駒治郎(繊維会社社長)が芸能会社の松竹と資本提携してセに所属した。
 98勝35敗4分け、勝率7割3分7厘。2位中日に9ゲーム差、8位の広島に59ゲーム差をつける強さだった。投手陣はエースの真田重男39(最多勝)江田貢一23勝、新人の大島信雄20勝(防御率1位)。打線の主軸は小鶴誠51本塁打、161打点の二冠、岩本義行36本塁打・127打点、大岡虎雄34本塁打・109打点。「原爆打線」の異名を取った超協力打線だった。加えて金山次郎が74盗塁でタイトルを獲得。
 ▽毎日=湯浅禎夫監督
この年からプロ野球に参画した新興球団で親会社は毎日新聞社。81勝34敗5分け、勝率7割4厘。2位南海に15ゲーム差、7位近鉄に37.5ゲーム差と圧勝した。投手陣は新人の荒巻淳が26勝(最多勝、防御率1位)野村武史18勝(勝率1位)。打線は別当薫が43本塁打、105打点、106安打の三冠、打率2位。打率3位に呉昌征、4位に土井垣武、7位に本堂保次と3割打者4人という強力打線だった。
両チームとも2リーグに分立した際、有力選手を手に入れている。「引き抜き事件」として裏面史にある。
第1回の日本一争奪試合は11月22日、神宮球場で開幕した。(続)