「ONの尽瘁(じんすい)」(27)―(玉置 肇=日刊スポーツ)

巨人監督・王貞治にとって就任4年目となる1987(昭62)年シーズンは文字通りの「背水イヤー」となった。84年の就任以降、3位、3位、僅差の2位とAクラスこそクリアして来たが、「球界の盟主」をうたう巨人にあって3年以上の優勝ブランクはただでさえ許されるものではない。王は、重いミッションと決意を携えて4年目のシーズンに臨もうとしていた。
ところが、87年1月25日。米グアムから宮崎キャンプへの地ならしとなる東京・多摩川グラウンドでのキャンプがいよいよ始まろうとする当日の朝、巨人選手にとっての「聖地」は警察を巻き込んだ形で、信じがたい「事件」の主舞台となった。
午前7時半ごろ、グラウンド状態を見に来た球場整備員が異変に気づき、言葉を失った。
何者かによって、グラウンドが荒らされていた。内野の土の部分ばかりか、芝の外野まで一面にゴミがばらまかれ、割れたビールやコーラのビン、ガラス、空き缶や木くず、紙くず、たばこの吸い殻が散乱。中には、使用済みのゴム製品まで混在していた。そこをゴミの集積場と間違えたというより、明らかに、グラウンドを練習不能の場とすることを意図した確信犯的犯行だった。
ブルペンではホームベースが掘り起こされ、一、三塁ベンチや選手の着替え用テント内のマッサージ用長イスに「読売最低!」「ヤクルト優勝!」といったものから特定の個人名を挙げて「〇〇くたばれ!」とか「××辞めろ!」という内容のものまで落書きがビッチリと、白い塗料スプレーで書き込まれていた。
幸い練習開始は午前10時。選手の到着まではまだ2時間ほどの余裕もあった。グラウンド整備員、球団関係者に早着の報道陣も借り出され、「一大清掃作戦」が展開された。私も清掃に協力。「いったい、誰が、何のために?」。他社の記者連中とそんな疑問をぶつけあいながら、大きな透明の袋にゴミを拾い集めた。
総勢30人ほどの「人海戦術」を経て、ゴミは粗方が片付けられ、グラウンドでの通常練習も可能となった。それでも落書きは選手たちの目にするところとなり、その一部始終は王ら首脳陣にも報告された。
球団は所轄の警視庁・東調布署(当時)に連絡。かくして多摩川キャンプ初日は、同署から3人の警官が出動する騒ぎとなった。被害状況から「軽犯罪法違反(私有地への無断侵入行為)」「不法投棄」と「器物損壊」などの疑いが浮上した。
球団関係者から報告を聞いた王は、憤まんやる方ない思いを口にした。「シーズン中に負けが込んだときなら予想もつくが、これから戦おうとするときに…。選手の気持ちに水を差すし、ひどいことをするもんだ」。
当時の巨人の練習グラウンドは、多摩丘陵に建設中だったジャイアンツ球場が完成前だったため、ここ多摩川がメインの球場だった。しかも選手にとってシーズンの「正月」ともいえるキャンプ初日に起きた事件は、王や選手に少なからぬ衝撃を与えたに違いない。
王はこれまでも選手の故障や、造反、内紛など球団内部から派生する「内圧」こそ経験してきたが、今回のように球団外からもたらされる「外圧」にさいなまれたのは初めてといえた。
巨人ファンの腹いせか?アンチ派の嫌がらせか?いずれにしてもこの事件は巨人という常勝を宿命付けられた人気球団が3年にわたって優勝から遠ざかる「異風景」が招いた事象と言えないだろうか?当時の選手会長だった篠塚利夫(現和典)はいみじくも言った。「いずれにせよ、僕たちが勝たなきゃいかん、ということなんでしょう」。選手も、ファンも、そして誰より、王自身が「優勝」に飢(かつ)えていた。それを物語る87年初頭の事件だった。(続)