「スポーツアナウンサーの喜怒哀楽」(24)-(佐塚 元章=NHK)
◎盗塁王、名アナ…思い出深い人との別れ
2025年11 月21日に東京ドームで行われた長嶋茂雄さんのお別れ会に参列し、天覧試合のサヨナラホームランなど数々の名場面の思い出が甦ってきた。そんな時、一緒にプロ野球を放送した元南海ホークス監督の広瀬叔功さんが亡くなったことを知らされた。89歳だった。キャンプ取材は二人で各地を旅行し、放送後はよく食べよく飲み、野球の技術論から人生論まで様々な話が弾んだ。
広瀬さんは俊足、福本(阪急)に次ぐ歴代2位の596盗塁、成功率.829 は断然トップである。よく広瀬さんは「ワシの時代は勝敗に関わらない盗塁はせいへんかったからね」と言っていた。盗塁数などはファンも注目していなかった時代であった。
キャンプ取材のマネージャー役をして困ったのは、大の飛行機嫌いであること。高知から宮崎は1980年代1日1便YS11が就航していたが、広瀬さんは「ワシは汽車で行く」と譲らない。仕方なく、土讃線、山陽新幹線、日豊線を乗り継いで宮崎入りした。これには参った。
広瀬さんは、ユニフォームを脱ぐと、親の面倒をみるからと言って、大阪から故郷広島に家族とともに転居した。瀬戸内海を隔てて向かいに宮島が見える風光明媚な所に実家があった。親分、鶴岡一人さんはよくこう言っていた。「広瀬はほんとうに親孝行だなあ!大阪育ちの奥さんもよくついて行ってくれたものだ」。NHKの「我が家の自慢料理」という番組に広瀬家が出演したことがある。瀬戸内の海の幸がふんだんに入った奥さん手づくりの鍋料理だった。広瀬さんがほんとうにおいしそうに食べていた。
もう一人、悲しい知らせがあった。NHKアナウンサーの大先輩、羽佐間正雄さんが亡くなったのである。94歳だった。1954年NHK入局。69年甲子園夏松山商対三沢高決勝戦引き分け再試合の実況。80全米オープンゴルフ・青木とニクラウスの優勝争い。87年には全米スポーツキャスター賞を日本人として初めて受賞している。
私が最も感動したのは72年ミュンヘン五輪開会式の実況である。スポーツアナウンサー独特の美辞麗句、七五調を使わず、普通のイントネーションで抑えたアナウンスをしたことだ。NHKでもラジオからテレビ時代に移り、どのような実況アナウンスがテレビに相応しいのか揺れていた時代に羽佐間さんの放送は後輩に今後の方向性を示してくれたと思う。
73年私が新人の時、高校野球研修の講師として鳴門球場に来られたのが羽佐間さんとの初めての出会いだった。放送直前に幕の内弁当を食べていた私に「こら!放送前に腹いっぱいになったら集中力に欠けるし、声も出ないだろ!」と怒られてしまった。時は流れ、羽佐間さん最後のオリンピック、88年ソウル大会に私は初めてオリンピック放送に参加させてもらった。
お世話になった広瀬叔功さん、羽佐間正雄さん、ご両名のご冥福を祈るばかりです。合掌。(了)
