第6回「KKドラフトの舞台裏」(山田 收=報知新聞社)

その②「エッ、クワタですかあ」

 西武が、清原の外れ1位に桑田を考えている-。我が社の西武担当記者がもたらした情報に、巨人を含む他の担当、遊軍、デスクは衝撃を受けるとともに、その真意を量りかねた。「根本さん一流のアドバルーンじゃないか」という声が上がる一方、「桑田にはプロ入りの意思があるのでは?」と訝る向きもあった。
 当然、他球団の編成担当、スカウトも情報を探った。「西武がまた仕掛けてくる」ドラフト会議直前、各球団とも戦々恐々の思いで対策を練り直した。根本陸夫管理部長の狙いは何だったのか。
 前年までレオ番だった私は、ドラフト会議の数日後、当時東池袋にあった西武ライオンズの球団事務所で、根本部長から話を聞いた。それは驚くべき内容だった。「巨人は、清原と桑田を両方取ろうとしていたからだ。もちろん、ウチもね」
 そんな話、巨人の取材から出たことないぞ。
西武は巨人の戦略を見抜いていた? ということは、巨人が清原を1位指名して抽選で取り、桑田をその後指名ないし、ドラフト外で獲得するということか。一瞬、頭がくらくらしたことを覚えている。
 しかし、この話はビックリ仰天のドラフト会議後の話。前日の1985年10月19日の夜に舞台を戻す。当時、平河町にあった報知の編集局では巨人の1位指名を巡って、最後の取材が続いていた。そこへYキャップが大きな情報をもたらした。「巨人の1位指名は清原ではない。投手でいく、ということだ」巨人フロント、王貞治監督からも信頼の厚いYキャップがおそらく、ギリギリのところで、得てきたものだ。
 じゃあ、誰なんだ。即戦力投手も欲しい巨人としては、伊東昭光(本田技研)か長冨浩志(NTT関東)ではないか、と推測されたが、裏付けが取れない。結局は伊東の名前を出したが、ドーンとは行けない。一面のアタマは、後日、提稿予定だった原稿(西武次期監督に森昌彦氏)を書かされた。
 なんともすぐれない気分で目が覚めたドラフト当日の早朝。懇意にしている巨人球団関係者から電話が入った。「きょう、桑田でいくよ」。ウソだろうと思った。「エッ、クワタですかあ」何とも間抜けな返事をした。
(続)