キャットフィッシュ (島田健=日本経済)

◎巨匠のストレートな讃歌

▽名物オーナーが命名

大リーグで、キャットフィッシュ (ナマズ)・ハンターといえば、70年代のオークランド・アスレチックスのワールドシリーズ3連覇を支えた名投手。ニックネームは当時の名物オーナー、チャーリー・O・フィンリーが、彼を売り出すためにつけた。
 ハンターが小さい頃、狩や釣りが好きだったことからと言われているが、筆者は特徴的なひげのせいだとばかり思っていた。そんな名投手を後にノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランが題材にしたのだから、さぞ皮肉や風刺に溢れた曲かと想像したが、違った。

▽百万ドルの男

「気だるい夜の球場 マウンドにキャットフィッシュが立つと 三振、と審判が宣告した 打者はベンチに戻って座るしかない」「キャットフィッシュ 百万ドルの男 誰も彼のようには投げられない」
 まさに讃歌である。作られた1975年(昭和50年)は、アスレチックスからヤンキースに移籍して、5年連続20勝を達成した、絶頂期だった。

▽当時としては破格の年俸

「かつてフィンリーさんの所で働いていた  だが、あの老人は給料を払おうとしなかった  だから彼はグローブをしまって自分の腕とともに ある日逃げ出した」
 ハンターは74年、アスレチックスが契約通りの給料を払わなかった、として調停委員会に申し立てた結果、史上初のフリーエージェントに。争奪戦を経て5年計375万ドルでヤンキースと契約した。年俸としては百万ドルにいかなかったが、74年にもらったのは十万ドルだったから、その時は破格と騒がれた。

▽殿堂入りを明言

「(おこりっぽい)ビリー・マーチン(ヤンキース監督)さえ フィッシュが試合に出ていればほほえむ  毎年20勝なんだから 殿堂入りは確実だ」
 全盛期は実際のところ、76年までだが、87年には殿堂入りを果たした。ただ、ルー・ゲーリックと同じ筋萎縮性側索硬化症で、99年に53歳で亡くなる短い人生だった。

▽大の野球ファン?

暗めのブルースはいかにもディランらしいが、直球すぎる歌詞は当時、アルバムを作るために組んでいた、作詞家、演出家のジャック・レビーの影響もあったと言われた。
 しかし、ノーベル賞をもらった時の、米大リーグサイトには、
 「受賞者の中でディランは最大の野球好きの一人。始球式とかやっていないけれど、21世紀になってからウィリー・ネルソンらと組んで、マイナーリーグ球場を巡るコンサートツアーを2度もやっている」
 という記事があった。常識外の才人だが、野球好きは間違いないようだ。(了)