「いつか来た記者道」(20)-(露久保孝一=産経)

◎遠き明治のベースボール

▽野球大好き人間だった子規

 平成から令和になり落ち着いた頃、時代の転換を感じる本が読みたくなって、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を30年ぶりに読み直した。江戸幕府が滅んで明治維新となり、「まことに小さな国」が近代国家への坂道を必死に登ろうとした時代である。
 その歴史小説は、新生日本を愛媛県松山市に生まれた3人の男を中心に描いた。3人とは、のちの日露戦争(1904-05年=明治37-38年)の陸海軍の名将となる秋山好古(よしふる)、真之(さねゆき)兄弟と、一高(東大)生の文学者・正岡子規である。俳句・短歌など文学好きの子規には、もうひとつの愛好があった。1187(明治20)年のことである。

 司馬はこう書く。
 
 「明治二十年ごろからベースボールに熱中し、仲間を組んではほうぼうで試合をした。子規はこの(肺結核の)喀血後十日ほどして様子がよくなると・・・路上で球を投げたりした」という熱中ぶりである。続けて、「球は硬球だった」と記す。ベースボールを「野球」と訳した中馬庚(ちゅうま・かのえ=一高、殿堂入り)によれば、子規は通称「升(のぼる)」と呼ばれ、キャッチボールの相手でもあった同年代の友人・真之らから「ノボさん」と言われた。そこから、ベースボールを「ノ(野)ボール」などと呼んで楽しんだともいわれる。

▽いつの時代もスポーツの華だった

 アメリカで生まれた新しい球技に、まだ小さな農業国日本の若者が興じたのである。日本に本格的なプロ野球チームが誕生したのは、昭和9(1934)年の東京巨人軍が最初であるから、それより47年前に文学青年たちが「ベースボール」に取り組んでいたのである。
 第2次世界大戦で、日本は「ベースボール本家」の国と戦い、激戦の末敗れ去った。
 しかし、戦後見事に立ち直り、国の発展とともにベースベールも「高度成長」を遂げた。巨人vs西鉄ライオンズの激闘日本シリーズ、人気のON砲vs鉄腕稲尾和久、巨人のV9、地方本拠地の拡大発展(福岡ソフトバンク・北海道日本ハム・仙台楽天など)、イチローに代表される日本選手の大リーグでの活躍・・・。プロ野球は、いつもスポーツの中心に位置していた。
 平成から令和にかけ、サッカー、ラグビー、フィギュアスケートなどが人気を高めているが、マスコミの総合的な報道では、やはりアマを含めた野球がナンバーワンであることに変わりない。令和が進んで、かつてのONや稲尾、金田正一らのようなスーパーヒーローの再来をファンは待ち望んでいる。

▽あの西鉄ライオンズが甦る?

 その観点から、西武の山川穂高と中村剛也両内野手のホームラン打者2人を抱える西武は魅力たっぷりだ。
 2019年のパ・リーグ打撃成績は、本塁打王・山川(43号)、打点王・中村(123点)で、首位打者も西武の森友哉捕手(.329)である。
 「西武打線の爆発力はすごい。元祖西鉄ライオンズの再来だ」
 と予感しているファンもいる。
 「降る雪や明治は遠くなりにけり」
 と詠んだ中村草田男の句があるが、雪が降ればなおさら、遠い明治からの伝統スポーツ、野球の存在価値を感じ取るはずである。(続)