「セ・リーグDH採用で球界が変わる?」-(山田 收=報知)
第3回 DHが生んだ素晴らしき野球人(1)
“DH制元年”となった1975年、4月5日のパ・リーグ開幕戦。当然のことながら、6チームすべてが指名打者を採用した(カッコ内は開幕戦時点の年齢)。記念すべき第1号は、ロッテ・得津高宏(27)、阪急・長池徳二(31)、日本ハム・東田正義(29)、南海・ロリッチ(28)、太平洋・竹之内雅史(30)、近鉄・ジョーンズ(33)の面々である。
打順は長池、ジョーンズがタイトル獲得者らしく4番。他の4人は5番か6番。この日の6人のトータル打撃成績は26打数8安打、打率.308、2本塁打、3打点と、期待された打撃力については合格点だったようだ。
だが、当事者にとっては守備につかず打撃専任の体験に、
「野球をやっている感じがせんわ。体が温まらん」(長池)
とグチも出た。得津などは、思わず外野守備へ向かい、慌ててベンチに戻ったという(いずれもスポーツニッポン)。
監督にしても、1年目は手探り状態だったようで、この6人のうち、長池、ジョーンズ、ロリッチの3人が、この年のレギュラーDHだった。
ちなみに、他球団でそれぞれ最もDHでの出場が多かったのは、日本ハム・張本勲、ロッテ・マクナルティ、太平洋・江藤慎一という顔ぶれだ。
ここから始まったDH制だが、チーム編成に大きな影響を与えた。
①外国人選手の獲得・起用の幅を広げた②守備力に難のある選手、ベテランの生きる道を提示した
① でいえば、まさに「打つだけの人」でも十分に戦力となることが明らかに
なった。球団によっては、日本シリーズなどは目をつぶって、バットだけ期待して外国人獲得を進める球団もあった。
1975年~2019年の44シーズンで、ベストナインの指名打者に選ばれた延べ44人の内訳をみると、日本人は18人で、外国人は26人。6割弱は外国人選手が占めてきた。
中でも近鉄は、マニエル(79-80年)、ブライアント(93-94年)、クラーク(99年)が選ばれており、日本人受賞率は0%である。79年のマニエルは92試合にDHで出場、本塁打王(37本)を獲得、外国人DHで唯1人、MVPに輝いている。
ちなみに、1975年のベストDHは長池だった。
クローズアップされたのは助っ人だけではない。パ・リーグだけに導入され
た制度が日本選手に光を当てることになる。(続)