「中継アナの鉄人」深澤弘さんを悼む(11)-(露久保 孝一 = 産経)

◎2人の大物との相思相愛の物語
 かつて球界を騒がせた大物投手と大打者がいた。一人は「ベンチがアホやから」と阪神首脳を批判した江本孟紀さんだ。もう一人は、FA宣言で巨人に移籍した三冠王3度の落合博満さんである。二人が窮地に立たされた時、あるいは迷っていた時、深澤さんは両者に救いの手を差し伸べた。
 まず、江本さんである。1972年南海で16勝し、79年阪神時代まで8年連続2ケタ勝利をマークしたエースが、81年8月26日にいわゆる”舌禍事件”を起こした。阪神が3点リードで迎えた八回表、先発の江本さんが打たれ同点にされた。この時、江本さんは「ベンチがアホやから野球がでけへん」と発言し、それがきっかけとなり現役引退する。
 関西マスコミから就職の誘いはなく、江本さんは無職になった。そんな時、深澤さんは「ニッポン放送の専属解説者にならないか」と電話を入れ、東京に呼んで契約した。江本さんは、「こんな僕でいいんですか」と感激し、それ以来「報酬の交渉をしたことは一度もない」ほどニッポン放送に尽くし、解説に全力投球してきた。江本-深澤の友情は何度か報道されているが、深澤さんは「彼の顔をみると、解説者として呼んで良かったなあといつも思うよ。成功したしね」と私にも数回話した。
▽長嶋さんの密使として落合獲りに奔走
 次に落合さんである。落合さんはロッテから中日に移籍し、7年たった93年、FA(フリーエージェント)宣言第1号になるのではないかとマスコミの報道攻勢を浴びた(実際には当時・阪神の松永浩美が最初の選手だった)。しかし、その騒動が起きる前に、巨人の長嶋茂雄さんは92年秋の監督復帰から密かに落合選手に目を向けていた。
 深澤さんに「落合をなんとか獲れないだろうか」と相談した。長嶋さんの恋焦がれた思いは変わらず、93年オフからFA制が導入されることになり、好機到来と感じた。しかし、長嶋さんは落合選手に直接交渉はできない。落合選手は、中日との関係もありFA宣言には乗り気薄だった。
 マスコミは大物のFA宣言を先読みして、名古屋の落合選手のマンションに報道攻勢をかけた。長嶋さんは落合にFA宣言してもらい巨人が好条件で獲得する、という考えを固めた。そこで深澤さんが長嶋さんの「密使」をつとめ、報道陣の間隙を縫って落合選手と直接会う。長嶋さんの熱意、巨人球団の待遇などを伝えた。深澤さんの言葉に落合選手は、心動かされFA宣言する。ついに、94年から長嶋軍団に入団した。
▽落合も知ったミスターと深澤さんの仲
「落合の巨人加入で、長嶋さんは生き生きとした野球が出来た。なぜ力の落ちた選手に固執するのだ、という声にも耳を貸さなかったミスターには、落合が存在するだけで巨人は変わるという信念があったのだよ。あの2人は男と男の友情を築き上げた。それがオレにはうれしかった」
 深澤さんは、人間の熱いドラマを振り返った。落合さんも、こう語っている。「私が尊敬する長嶋監督の巨人に入団できたのは、FA制度のお陰である。そのとき、長嶋監督と深澤さんの強い絆を痛いほど感じた」(深澤弘著『わが友長嶋茂雄』)
 江本さんと落合さんと長嶋さんと…深澤さんは一人ひとりについて自ら語ることは少なかったが、問いかければ頬を崩して良き思い出をぽつりぽつりと話すのであった。(続)