「いつか来た記者道」(88)-(露久保 孝一=産経)
◎スタンカが円城寺を殴る、ああ乱闘事件
昭和100年、第2次世界大戦後80年の歴史にそって野球レジェンド物語を書いている。今回は、名勝負の運命を決した球史に残る判定大事件である。近年はジャッジによる乱闘事件はなくなったが、昭和、平成時代は頻繁に起こった。
「円城寺 あれがボールか 秋の空」(詠み人知らず)という川柳が有名になるほどの判定暴力事件があった。1961(昭和36)年10月29日、後楽園における巨人ー南海(現ソフトバンク)の日本シリーズ4戦目だった。南海が3-2とリードして迎えた九回裏、巨人が無死一塁としたところで、リリーフにスタンカが登板した。身長198センチのスタンカは簡単に二死をとる。このあと、南海内野陣の守備が乱れ、二死満塁になる。次打者の巨人・宮本敏雄(エンディ宮本)に対し、スタンカはカウント2ー1から「真ん中低めにフォーク」(野村克也捕手)を投げた。ストライク、チェンジだと思った野村はマウンドへ走りかけた。ところが、円城寺満球審は「ボール」のコールだ。鶴岡一人監督の抗議のあと、スタンカが投げた球を宮本が右翼線に安打し巨人が逆転サヨナラ勝ちした。
ここで、事件は起きた。外野からの返球を待つ捕手野村のバックアップをしたスタンカが、円城寺を突き飛ばした。ゲームセットのあと、南海ナインと乱入したファンが円城寺を取り囲んで小突き、殴った。円城寺は気丈に立ち上がった。誰にも出場停止を告げなかった。
試合後、スタンカは新聞記者にまくしたてた。「あれがボールなら俺はどこに投げればいいんだ」。野村も「あれはストライク。誤審だ」と自信たっぷりに主張した。しかし、ボールの判定は変わることはなかった。
▽人間味のある審判かロボット判定か
競技審判のジャッジは、センチあるいはミリ単位の誤差によってチームの明暗が分かれる。審判は時には命を削るような過酷な判断をしなればならない。それだけに、強靭な精神と信念を保つ審判も多い。二出川延明審判は1959年、公式戦で西鉄(現西武)の三原脩監督から抗議を受けて「俺がルールブックだ」と審判の威厳を示した。
前回のこのコラムで、社会人野球の「満州のエース」浜崎真二を紹介したが、円城寺は高校野球の「満州のエース」だった。大連商業の投手として26年夏の甲子園大会に出場し準優勝した。その後法政大に進学し、戦後、プロ野球の審判員としてスタートした。
プロ野球では2018(平成30)年から「リクエスト制度」が導入され、ビデオ判定ができるようになった。将来は、ストライク・ボール判定を自動でおこなう「ロボット審判」が実現するかもしれない。そうなれば、円城寺や二出川らの人間性あふれるジャッジは見られなくなる。当たり前だが、選手と同じように審判も人間が動いて競技が展開される。そういう意見こそ重要だと思うのである。(続)
