「菊とペン」(36)-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎キャンプ初日で帽子を失くし…
 年が明けたと思ったらもう2月である。早い。歳を取るとこうも早く歳月は過ぎていくのか。柄にもなく松尾芭蕉の「奥の細道」の序文を思い出した。「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」過去のドジな経験ばかり浮かんでくる。
 プロ野球で2月とくればキャンプだ。私は巨人が王(貞治)さん、藤田(元司)さんが監督だった8年間担当した。当時はグアムで一次キャンプを張って宮崎へ移動というのがスケジュールだった。
 きついスケジュールだった。グアムで約2週間過ごし、1日置いて宮崎である。生まれたばかりの長女をろくに見もせず、宮崎から帰京したら大きくなっていたのに驚いたことがある。ほぼ1カ月家を留守にしていた。休みはない。いまだったら大問題だろう。
 さて藤田さんが監督の時だったと思う。宮崎キャンプ初日は巨人の広報担当者が取材陣へ帽子を配った。3色に分けられていた。確か白、青、赤だったか。青、黄、赤だったかもしれない。でもこれは記憶違いだろう。これでは信号である。
 白は一般紙・スポーツ紙・テレビ・ラジオ、青は夕刊紙、赤は週刊誌ではなかったか。要するに媒体毎に色分けして巨人ナインにミーティングで伝えていた。帽子の色を見て取材に応じる。注意する。無視する。さて現在もやっているのか。不明である。
 この帽子はキャンプ最終日(オープン戦含む)に宮崎知り合った関係者や馴染みの飲食店などにプレゼントする。取材ではもう使わない。地元の人に大いに喜ばれた。
 某年、キャンプ初日に宮崎の街に繰り出した。1年ぶりだ。食事をして毎年顔を出す飲み屋に足を運ぶ。普段はしない「はしご酒」をした。泥酔である。
 翌朝、重い頭を振りながら前夜の酔態を思いだそうとしたが思い出せない。記憶が飛んでいた。所持品を確認する。エッ、帽子がない。球場から街へ直行していた。初日早々、商売道具を紛失である。球場へ行ったがないものはない。仕方がない。巨人の受付に「おはようございます…」と無理に愛想笑いを作って、「かれこれこういうワケで」と事情を説明した。早い話、帽子をくださいである。お願いだ。
 「ハッ、もう人にやったのか?」
「君には昨日がキャンプ最終日だったのか?」
「地元の狙っている女にあげたのか?」
「キャンプ初日に失くしたヤツは初めてだ」
「赤でいいか」
「2つ欲しいんだろう」
 巨人もキャンプ終了後の帽子の行方を承知している。事情聴取されて散々言われた。だが最後は「もう失くすんじゃないよ」と〝再発行〟してくれたのだった。私はその年のキャンプで一日中帽子をかぶらず腰にぶら下げて過ごした。
 定年後、ロッテを4年担当したが、地元の人に帽子を希望されたことはなかった。自室の本箱の上には安田尚憲のサイン入りの帽子が乗っている。
 巨人担当記者時代の帽子は1つもない。(了)