「100年の道のり」(62)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎戦前最後の試合は巨人-阪急
戦争の余波を受けてプロ野球が中止に追い込まれたのは、1944年秋のことだった。6チームあったものの、4月に春季大会がスタートしたときの選手数は、全球団合わせて80名を欠いていた。スカスカ状態だった。
1月に入って間もなく、日本野球連盟は「日本野球報国会」と改称した。選手引き抜きの禁止を申し合わせたのもこのころである。選手が戦地から戻ってきたときの混乱を避ける措置だった。
チーム名も変わった。名古屋軍が「産業」に、南海は「近畿日本」となった。
後楽園球場が軍に接収されることが決まったのは9月だった。高射砲を設置するため、というのが理由である。首都決戦に備えるという。
まさに風運急を告げる状況の中で公式戦を行った。プロ野球界の執念ともいえた。春季大会は4月はじめから、夏季大会は9月中旬から東京大会、大阪大会を強行した。
戦前最後の試合は9月28日、甲子園球場での巨人―阪急だった。
春季、夏季と通算成績は次の通り。
-チーム成績-
春季 夏季 通算
阪神11勝3敗1分 阪神16勝3敗1分 ①阪神27勝6敗2分
巨人11勝3敗1分 阪急11勝8敗1分 ②巨人19勝14敗2分
阪急8勝7敗 巨人8勝11敗1分 ③阪急19勝15敗1分
産業6勝8敗1分 近畿8勝11敗1分 ④産業13勝12敗1分
朝日4勝10敗1分 朝日8勝12敗 ⑤朝日12勝11敗1分
近畿3勝12敗 産業7勝13敗 ⑥近畿11勝23敗1分
-タイトル-
・首位打者=岡村 俊明(近畿)3割6分9厘
・本塁打王=金山 次郎(産業)3本
・打点王 =藤村富美男(阪神)25打点
・防御率 =若林 忠志(阪神)1.56
・最多勝利=若林 忠志(阪神)22勝
・奪三振 =藤本 英雄(巨人)113三振
・MVP =若林忠志(阪神)
若林と藤本はともにプレーイングマネジャーだった。本塁打王の金山次郎は俊足の持ち主で、のちに盗塁王になった。1、2番を打つ打者が本塁打のタイトルを取ったところに選手層の薄さが表れていた。奪三振の藤本は2リーグ時代に入って最初の完全試合を達成している。のち中上英雄と改名した。
11月13日、日本野球報国会は「リーグ戦休止」を決めた。(続)