「たそがれ野球ノート」(16)-(小林 秀一=共同通信)
◎10・19を思い出す
今年のセ・リーグのペナント争いは最後までもつれた。ファンをやきもきさせながら楽しませる展開は過去何度もあったが、記者時代、現場にいて忘れられないのは1988年パ・リーグの優勝が決まった10月19日のことだ。
残り2試合とした近鉄が迎えたのは川崎球場でのロッテとのダブルヘッダー。近鉄が連勝すれば優勝決定。一つでも負けか引き分ければ、西武の4連覇が決まる状況だった。結果は近鉄が第1試合を4-3で競り勝ったものの、第2試合は延長10回4-4の引き分けとなり、近鉄は涙をのんだ。
試合のポイントはいまだに目に浮かぶ。第1試合九回、代打梨田の勝ち越し中前打、歓喜してホーム付近まで飛び出してきた近鉄・中西ヘッドコーチ。
第2試合では試合時間の制限が迫る中、二塁ベース付近での有藤監督の執拗な抗議、引き分け後、仰木監督はじめ近鉄全選手が三塁・左翼スタンドのファンにお礼をする姿…。
「10・19」としてこの熱戦は語り継がれているが、より強く印象に残っているのは、その裏でもう一つのドラマが流れていたからだ。当時、私は大阪支社運動部の遊軍記者。近鉄優勝のかかった試合に大阪から数人とともに乗り込んでいた。他社にも多くの大阪からの出張者がいた。
第1試合の試合前、突然。大阪のデスクから記者席に電話が入る。
「阪急の動きがおかしい。ひょっとして身売りとか」
この段階ではお互い「まさかねえ」で受話器を置いた。
しかし、まもなくして「夕方に記者会見の準備をしているようだ」の知らせ。
そばに座っていた出張記者を外に連れ出して説明し、一人はすぐに、もう一人は試合後、羽田空港から大阪にとんぼ返りするよう指示を出した。他社に気づかれまいと球場ロビーの公衆電話でタクシーを呼んだ。
平然とした顔で席に戻ったが、まだ普段の記者席。やがて、あちこちでこそこそ電話が始まり、知り合いの大阪記者がそっと席を外すなど動きが出てきた。あの時の記者席の光景は今でも笑い話で出てくる。
その日午後5時、大阪・新阪急ホテルで阪急のオリエント・リース(オリックス)への球団売却が発表された。(了)