「100年の道のり」(83)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎奇跡の東西対抗でプロ野球再開のノロシ
1945年(昭和20年)は激動の年だった。5月25日に東京大空襲、8月15日に終戦の玉音放送、同30日に連合国軍最高司令官のマッカーサーが厚木飛行場にコーンパイプをくゆらせて降り立った…。
日本のプロ野球は太平洋戦争の敗北などなんのその、素早く再開の準備に入った。「鬼畜米英」「英語はご法度」などと小うるさく言う連中はもう何も言えなくなっていた。GHQに接収されて「ステートサイド・パーク」とか「ルーズベルト・スタジアム」などと呼ばれた神宮球場では、米国軍が草野球を始めていた。
「プロ野球を復活させよう」を合言葉に戦前からの連盟関係者は試合の準備に取りかかった。神宮球場の使用交渉、用具の調達、選手集め-この3点に奔走した。球場の方は米国の国技とあって2日間使用の許可を取った。用具は各地から集め、西宮球場には阪急が保管していたボールやグラブなどが見つかった。兵役に就いた選手を集めるのに苦労したが、粘り強く探して試合ができる人数を確保した。
戦後初の東西対抗第1戦は11月23日に行われた。当初は22日開催だったのだが、雨天のため翌日が初日となった。出場選手は次の通り。
・東軍 監督=横沢三郎(セネタース) 投手=藤本英雄(巨人)白木義一郎(セネタース) 捕手=楠安夫(巨人) 内野手=飯島滋弥(セネタース)千葉茂(巨人)三好主(巨人)金山次郎 外野手=加藤正二(名古屋)古川清蔵(名古屋)大下弘(セネタース)
・西軍 監督=藤本定義(朝日) 投手=笠松実(阪急)別所昭(近畿)丸尾千年次(阪急)
捕手=土井垣武(阪神) 内野手=野口明(阪急)藤村冨美男(阪神)鶴岡一人(近畿)上
田藤夫(阪急)本堂保次(阪神) 外野手=下社邦男(阪急)呉昌征(阪神)岡村俊昭(近
畿)
どこもかしこも焼野原。プロ野球は“奇跡の復活”を遂げた。野球人のエネルギーはすさまじかった。(続)